未来は、私たちの前にどんな姿であらわれるのでしょう?
まだ誰も見えないものを見、聞こえない音をきく、
そんな同時代のアーティストたちと感覚を分かち合えたなら、
この不確かささえ、喜びやエネルギーに変えることができるかもしれません。
資生堂ギャラリー、第八次椿会。ツバキカイ∞がはじまります。
News
- 2021.12.14
- オンラインお茶会「Voyage 椿茶会」茶会記を追加しました
- 2021.10.12
- 「2021 触発/Impetus」展示風景動画を追加しました
- 2021.09.21
- 360度バーチャルツアー、会場風景写真を追加しました
- 2021.08.10
- 杉戸 洋、ミヤギフトシ、宮永 愛子のインタビュー動画を追加しました
- 2021.07.26
- イベントの申し込みが定員に達しましたので、締め切りました
- 2021.07.21
- 中村竜治、Nerhol(ネルホル)、目[mé]のインタビュー動画を追加しました
- 2021.07.21
- イベントを追加しました
- 2021.07.02
- 参加メンバーが語る“触発”についてを追加しました
- 2021.05.21
- 特設ページがオープンしました
概要
「椿会」は、第二次世界大戦で一時中断していた資生堂ギャラリーの活動を、1947年に再開するにあたり誕生したグループ展です。資生堂のシンボルマークである花椿にちなんで名づけられ、アートが人々に希望を与え、勇気をもたらすという信念に基づき、戦争や災害、不況などで世の中が閉塞状況にあるときにも再興を願い開催してきました。誕生から70年以上にわたり、時代とともにメンバーを入れ替えながら、資生堂ギャラリーを代表する展覧会として継続し、これまで合計86名の作家に参加いただきました。
本年より、新しく第八次椿会がスタートします。メンバーは、杉戸洋、中村竜治、Nerhol (ネルホル)、ミヤギフトシ、宮永愛子、目[mé]。この6組は、ジャンルを超えた活動やコラボレーションやチームでの制作などを行う、今の時代を代表するアーティストたちです。この6組のアーティストたちと共に、今年から2023年までの3年間をかけてafterコロナの「新しい世界」について考えていきます。各年を「2021 触発/Impetus」、「2022探求/Quest」、「2023昇華/Culmination」と位置づけ、プロセスを踏みながら新たな問いを見出し、深めていく作業をおこなっていきます。
テーマ
今年は、「触発/Impetus」をテーマに、資生堂がこれまでの椿会展で蒐集してきた美術収蔵品から、メンバーが「新しい世界」を触発される作品を選びます。選んだ収蔵品と、それに対する応えを提示することで、収蔵作品に新たな視点を加え未来へとつなげることを試みます。2022年には、メンバー同士でのコラボレーションや異分野の専門家と交流し、初年に生まれた問いや気づきについて「探求」し、そこから生まれる作品を展示します。最終年の2023年には、3年間の活動を昇華させる展示を行います。
今、我々の住む世界は大きな転換期にあります。先の予測ができない不確かな時代において、アートは未来を知るヒントや勇気を与えてくれます。資生堂ギャラリーは、椿会を通して、アーティストと人々が出会い、対話を通して、さまざまな新しい価値観を共有し、感化し合えるオープンな場となることを目指します。
椿会は1947年に始まった当初から、時代を代表する作家たちで構成する方針で、これまでの数次におけるメンバー編成でもその考えは変わっていません。1919年からギャラリーを運営する資生堂は、会社の成長とともに1970年頃、企業コレクションとしての美術品の必要性を認識するようになり1、1974年に始まった第三次椿会から本格的に蒐集していくことになりました。また、資生堂の工場があった静岡県掛川市に、それらの美術収蔵品を公開する場として1978年に資生堂アートハウスが開館しました。
1970~80年代の資生堂ギャラリーは、貸画廊として多くの展覧会を行っており、資生堂主催の展覧会はほんのわずかでした。椿会はその中でもギャラリーを代表する資生堂主催展だったことから、第三次椿会から新作を依頼しそれを買い上げる方針になりました2。新作の購入は、新たな価値の発見につながり、作家の創作活動への支援にもなりました。その精神は、新進作家のために資生堂ギャラリーをオープンした初代社長の福原信三以来脈々と受け継がれたものです。一方で作家にとっては、その時に創りたいもの、その時だからこそ見せたい作品を制作し発表する機会となりました。このように、第三次椿会からは177点、第四次椿会からは60点の作品を収蔵し、それらは資生堂アートハウスで公開されています。
1990年、資生堂「企業文化部」の設立を契機に資生堂ギャラリーの活動が見直されることになりました。資生堂ギャラリーがあった旧資生堂パーラービルの老朽化による建て替えもあり、ギャラリーの構想が練られました。当時の社長・福原義春は「すべてについて質的な評価が見直されるようになったこの時代、経営と商品づくりの中心部に再び濃い美意識を注入しなければならないように思える。その見える部分の一つが資生堂ギャラリーの活動の新時代に向けての活性化であろう3」と、資生堂ギャラリーの改革について述べています。新しいギャラリーでは、貸画廊をやめ自主企画のみで展覧会を行い、ギャラリーを通して資生堂の芸術文化を主張していくことになったのです。
1997年から休廊した資生堂ギャラリーは、2001年の東京銀座資生堂ビルのオープンとともに再開しました。新しいギャラリーは、現代アートを主軸に置いた展覧会を行う方針とし、大型インスタレーションにも対応できるようビルの地下2階分を展示空間として使用することになりました。ギャラリーの新たな活動方針を決めた際の資料には、「これからの時代における新しい価値は社会に開かれ人々の生活に関わることを主要なテーマとする現代美術のなかに見出すことができ、そこから生まれるものは人々の意識の覚醒を促し、新しい視座を持つように働きかける」と記されています。その後は、資生堂ギャラリーの伝統を継承しながらも、グローバルな視点、新しいアートの潮流、社会に関わる現代アートを紹介していくと同時に新進作家の発掘と育成を行っています。
資生堂ギャラリーの2001年のリニューアルから20年、その間、第五次から第七次までの椿会が行われました4。近年、国内外の美術館でのコレクションの見直しや公開についての取り組みが注目されています。収蔵品を工夫して見せていくことが活発に行われており、それは収蔵品に新たな視線を向ける機会になり、これまでとは異なる美術館の役割の発見や価値創造に結びつくでしょう。
本展では、収蔵後、資生堂アートハウスでも再展示の機会があまりなかった第五次以降の椿会収蔵作品約200点のなかから、第八次椿会メンバーが「あたらしい世界」を予感させる作品を選び、それらの作品から受けた「触発」を、メンバー自身の作品とともに展示します。世の中が猛スピードで変化する中、20年間の椿会の作品や作家と向き合いながら、アートと社会との関係、また、これからの世界ついて考える機会となりましたら幸いです。
1 福島昌子「資生堂アートハウスコレクションの特質」『研究紀要おいでるみん』Vol.4
2 樋口昌樹「資生堂ギャラリーと椿会I」『研究紀要おいでるみん』Vol.5
3 福原義春「企業と芸術を繋いだ福原信三」『福原信三の世界』展カタログより
4 椿会メンバーの変遷 https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/member/
参加メンバー
杉戸 洋 (すぎと ひろし)
1970年愛知県生まれ。92年、愛知県立芸術大学美術学部日本画科卒業。小さな家や、空、舟などのシンプルなモチーフを好んで描き、繊細かつリズミカルに配置された色やかたちが特徴。2016年の個展「杉戸洋──こっぱとあまつぶ」(豊田市美術館)では、建築家・青木淳とコラボレーションし、会場を構成したほか、17年の東京での美術館初個展「杉戸洋 とんぼ と のりしろ」(東京都美術館)では前川國男が設計した美術館の展示空間と呼応するような幅15メートルの大作《module》(2017)を発表した。武蔵野美術大学美術館で2021年開催の「オムニスカルプチャーズー彫刻となる場所」では、会場構成を担当。平成29年度(第68回)芸術選奨、文部科学大臣賞受賞。
中村竜治 (なかむら りゅうじ)
建築家。1972年長野県生まれ。東京藝術大学大学院修了後、青木淳建築計画事務所を経て、2004年に中村竜治建築設計事務所を設立。主な作品に、へちま(2010年ヒューストン美術館、2012年サンフランシスコ近代美術館収蔵)、神戸市役所1号館1階市民ロビー(2017年)、「FormSWISS」東京・神戸展展示空間(2020〜21年)など。資生堂との作品に、「BEAUTY CROSSING GINZA ~銀座+ラ・モード+資生堂~」展展示空間(2016年)、資生堂ビューティ・スクエア(原宿)店舗空間(2020年)など。主なグループ展に、「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」東京国立近代美術館(2010年)、「反重力」豊田市美術館(2013年)など。主な受賞に、第6回京都建築賞優秀賞(2018年)、第32回JIA新人賞(2020年)など。
Nerhol (ネルホル)
田中義久と飯田竜太の二人からなるアーティストデュオ。連続撮影をした数百枚のプリントを束ね、彫り込むことで生まれる立体作品を発表後、ポートレイト、街路樹、動物、水、あるいはネット空間にアップされた記録映像等、様々なモチーフを選びながら、それらが孕む時間軸さえ歪ませるような作品を制作。そこでは一貫して、私たちの日常生活で見落とされがちな有機物が孕む多層的な存在態を解き明かすことを試みている。主な個展「Interview, Portrait, House and Room」Youngeun Museum of Contemporary Art、韓国(2017)、「Nerhol Promenade/プロムナード」金沢21世紀美術館(2016)。2020年VOCA賞受賞。
ミヤギフトシ (みやぎふとし)
1981年、沖縄県生まれ。2005年、ニューヨーク市立大学卒業。現代美術作家としての主な個展に「In Order of Appearance」 miyagiya(2021年)、「How Many Nights」ギャラリー小柳(2017 年)、「American Boyfriend: Bodies of Water」京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(2014年)など。2012年にスタートしたプロジェクト「American Boyfriend」では、沖縄で沖縄人男性とアメリカ人男性が恋に落ちることの関係性等をテーマに、作品制作やトークイベントの開催などを行なっている。自身のアイデンティティや出身地の沖縄、アメリカ文化など題材とした映像や写真作品だけでなく、小説も発表。
宮永愛子 (みやなが あいこ)
1974年生まれ。京都府京都市出身の現代美術家。第3回シセイドウアートエッグ出身。京都造形芸術大学美術学部彫刻コース卒業。東京藝術大学大学院美術学部先端芸術表現専攻修了。平成18年度文化庁新進芸術家海外留学制度によりエジンバラ(イギリス)に1年間滞在。第22回五島記念文化賞美術新人賞を受賞し、2011年からアメリカ・中南米で研修。日用品をナフタリンでかたどったオブジェや、塩を使ったインスタレーションなど、気配の痕跡を用いて時を視覚化する作品で注目を集める。主な個展「うたかたのかさね」京都市文化博物館(2020年)、「宮永愛子:漕法」高松市美術館(2019年)。2019年度文化庁芸術選奨美術部門新人賞受賞。アートエッグから初めての椿会メンバー。
目[mé](め)
目[mé]は、日本の現代芸術活動チーム。不確かな現実世界を、私たちの実感に引き寄せようとする作品を展開。手法やジャンルにはこだわらず、展示空間や観客を含めた状況、導線を重視。創作方法は、現在の中心メンバー(アーティスト荒神明香、ディレクター南川憲二、インストーラー増井宏文)の個々の特徴を活かしたチーム・クリエイションに取り組み、発想、判断、実現における連携の精度や、精神的な創作意識の共有を高める関係を模索しながら活動している。資生堂ギャラリー『たよりない現実、この世界の在りか』(2014)や、「目[mé]宇都宮美術館屋外プロジェクト『おじさんの顔が空に浮かぶ日』(2013-14)、さいたまトリエンナーレ2016への参加、千葉市美術館『目[mé]非常にはっきりと わからない』(2019)などが話題を呼んだ。
セレクト作品
参加メンバーが語る
“触発”について
「無駄な事というのが贅沢な事」
「あたらしい世界」について
無駄な事というのが贅沢な事になっていくと思う。そういう贅沢な時間までも取り上げてしまうような社会になってほしくないと願う。
収蔵作品からの触発
畠山直哉《赤瀬川さんのアトリエ》より 2017年
今年の春は少し落ち着き、身の回りの整理をしていた時期であったこともあり、生活空間の限られたスペースには最小限必要なものを残し、いらないものはしまうか、捨てる。部屋に出しておくべき物と選別していたと思うのだが、それでも無意識に固定位置と思い込み、長年見向きもせずただ置いてあるものをそのまま触らずにいる、よく考えてみると変なもの。この写真を作品として眺める以前に自分の部屋の棚の変なものをストレートに指摘させられた気がして、印象深く選びました。
作品 《おきもの》 について
① 杉戸 洋《おきもの》 2021年
自分の作品ではないのだが自分の棚にあるもので、あってもなくても良いのだが、捨てられず長年置きっぱなしにしている石をそのまま持ってきた。その棚に新しい空きスペースができ、穴埋めできるものがなければこれらの石は元通り戻してしまうのだろう。新しい世界を求めるには、何かを捨てないと始まらないとはわかっているが、戻してしまいそう。そういうものがコレクションというのかなと考えさせられながら長い台の上面の空きスペースが新しい世界に見えてくる。
「空間の中で関係が生まれる」
「あたらしい世界」について
急遽価値観の転換を迫られ、ある意味ショック療法的に新しい価値観が生まれたり多様性が加速したりしたとは思いますが、このようなアクシデントによって大きく前進するというよりは、普段から多様な価値観を生み出し前進していけるような仕組や許容力を持った世界であって欲しいと思います。
収蔵作品からの触発
知識が無い中、まずは500点を超える作品のリストを見せてもらったのですが、手掛かりがなかなか掴めず、作品を観ることはもちろんですが、手掛かりを探すこと自体が貴重な体験となりました。椿会は同じメンバーが数年にわたって展示を行うため、1人の作家に対し複数の作品がコレクションされています。膨大な数のリストを眺めながら作品を絞っていくという選び方でしたので、必然的に単体の作品というよりは、各作家の複数の作品から感じられる態度や考え方が浮かび上がって見え、真意は別として、その見え方や感じられ方に興味を持ちました。
そのような見方の中で印象的だったのは、柳原義達さん、三輪美津子さん、内藤礼さんです。いずれも、作品に同じモチーフが何度も登場することに興味を持ちました。柳原さんは、今回残念ながら展示することができなかったのですが、鳩の彫刻を5年にもわたって制作されています。一見ほとんど個体差の無い地味な鳩に長い間向き合いどんなことを見出していたのか、今回のように複数の作品の関係の中で見るととても想像を掻き立てる作品だと感じました。三輪さんは、ほぼ同じ描き方でトリミングを変えながら同じ女性の顔を何度も描くという作品を制作されています。油絵なのに写真のように編集的であり、複数あることを前提に描き、その関係の効果をご自身が観察しているような不思議な作品だと感じました。内藤さんは、小さな木彫りの人を沢山制作されています。展示するにはあまりに小さく、素材も弱く頼りないのですが、その小ささや弱さが置かれる場所の大きさやかたさを意識させ、とても空間的な作品に感じました。
三輪さんに関しては、連作の関係がわかるように女性の顔を描いた一連の作品、内藤さんに関しては、空間との関係が強調されるように木彫りの人を一体選びました。それぞれ、ある関係の中で何が起こっているか、皆さんにも見て感じて考えていただけたらと思います。
作品 《関係》 について
③ 中村竜治《関係》 2021年 木材、合板、パテ、塗料など
三輪さんと内藤さんの作品が関係を意識させるものに感じられたので、空間の中で関係が生まれるような展示を考えました。具体的には、高さ1.55m、長さ8.14mの壁を立てています。ギャラリースペースを展示に合わせて区切るためだけに作られた壁として感じられるように、ギャラリーの壁と同じ素材や色として、何気ない佇まいとしました。壁、三輪さんの作品、内藤さんの作品は、それぞれ自立していて無関係なもののようにあり、訪れた人がそれらの間に様々な関係を見出すことで、自分なりの風景や感覚が立ち上がるような展示になればと思いました。
日常生活ではつい物に焦点を当て過ぎてしまいますが、そこから少し焦点をずらし、物と物との間や関係の中で物事を観察していくと、様々な価値観が見えてくるのではないかと思います。
「根付いていく生命力」
「あたらしい世界」について
制作に向き合いながら、今後何か考え出すことがあるかもしれませんが、正直なところまだわかりません。
歴史に刻まれるような事象やそれが日常に溶け込んでしまったような状況は私たちも作品のテーマとして選んできましたが、コロナが実際にどの程度これからの日々のなかに影響を残し続けるのか。忘れられてしまう部分もあるでしょう。制作を通して見つめ、あたらしい世界への身振りの在り様を考えていければと思います。
収蔵作品からの触発
畠山直哉 《Findling -Klein Helgoland, Sassnitz, Rügen》2009年/2015年
畠山直哉さんの写真に写された大岩は、漂石と呼ばれるもので、氷河によって運ばれ、氷河が溶けた後にそのままその場所に残されたものです。遠方から運ばれてきたため、付近の岩石とは種類が異なり、迷子石などとも呼ばれていたりするのですが、畠山さんはこの作品のシリーズタイトルを「Findling」としていました。氏のテキスト(※1)によると、「フィントリンク」の「フィント」は動詞「finden」(英語の「find」)から来ており、ドイツ語では見つけた子=拾われ子、捨て子という意味で、調査によって出自が明確になったり、岩と人との関わりが生まれていく中で、「拾われ子」とよばれるようになっていったそうです。
日本にも、津波石という津波によって岸に打ち上げられた大岩があるということを最近知ったのですが、沖縄県の先島諸島の海岸や内陸には津波石が多く残っており、1771年(明和8年)に起きた八重山地震の津波(明和の大津波)によって海岸に運ばれたと伝えられているものが多いのだそうです。岩には住民から親しみを込めた通称名なども存在し、神格化されたものや口承伝達の礎にもなっています。
数百年という時間軸のなかで自然がもたらした出来事に対し、人がどのようにして向き合ってきたかの軌跡を畠山さんの作品に感じました。撮影された岩には、船を固定させるためなのか、はたまた看板があったのか、堅牢なボルトがついているものがあります。自然の圧倒的な力で流されてきた岩と人がどのように関わり合い、これからもどのような光景が生み出されていくのか。多くの物語を想起させる不思議な力を感じます。とはいえ、これは何も「自然 対 人」という関係に限らないのではと思います。同じく以前の椿会に出展された畠山さんの「CAMERA」シリーズでは、ホテルの部屋にあるランプシェードの光を使って天井を照らし出した作品群が並びます。そこに既にあるものと、一時の訪問者として、もしくは、その地に根ざす者としての人との関わりは、痕跡や歴史を想起させるのと同じくらい、未来も予期できるような、そんな厚みを感じます。
※1 カタログ「椿会展2015 -初心-」 p49
作品 《オニノゲシ》 について
④ Nerhol《オニノゲシ》 2021年 インクジェット・ペーパー
オニノゲシ(鬼野芥子)は、ヨーロッパ原産ですが、今では世界中に分布している雑草です。道端でよく見られ、見た目はタンポポのような黄色の花を咲かせますが、葉は硬い印象で、刺があり色も濃く、タンポポと比べると逞しさを感じます。資生堂が創立された20年後の1892年、特に意図的ではない移入によって初めて確認されたオニノゲシは、畑地、樹園地、牧草地、芝地、路傍、荒地など、その適応力の高さから、現在は日本全国に広まっています。
少し前に、日本の沖合から流された海洋生物が、何年もかけてアメリカ西海岸に辿り着いていることを、米オレゴン大学などの研究チームが明らかにしていました。『サイエンス』に発表された論文によると、貝類やイソギンチャク、カニなどの生物種が、東日本大震災の津波で発生した大量の漂流物にのって、アメリカ大陸にまで到達したというのです。漂着物から見つかった生物は分かっているだけでも300種近く。これは漂流物のなかで生物が共生する生態系が生まれ、少なくとも3回の世代交代を経験して生息し続けたことを意味します。
もし自分が限られた空間の中で一生を過ごすとしたら何をすべきか? 世界に対する眼差しの始まりは、このようにして生まれるのが望ましいと感じています。この先も日本と世界の動植物の間で交配は続いていきますし、たとえ偶発的な物事の結果だとしても、その場所へと帰化して、根付いていく生命力を持っているものも多いのではないでしょうか?
「物語を待つ辛抱強さと耳を傾ける寛容さ」
「あたらしい世界」について
群像2021年4月号に掲載されたくどうれいんの小説「氷柱の声」に、「自分の被災は被災とは言えないから」という言葉があった。津波被害を受けなかった土地で被災したがゆえ感じ続けている罪悪感や距離感、10年を経てそれが真摯に語られていた。
今誰かが抱いている戸惑い、他者に比べれば取るに足らないと感じてしまっている不安や苦しみ、悲しみ、この先語られる物語を待つ辛抱強さと耳を傾ける寛容さを世界が持っていたらと願う。
収蔵作品からの触発
2020年は「幾夜」(すばる2021年6月号)という戦時下の東京を舞台にした小説の執筆と改稿作業に費やされた。執筆中に思い知らされたのは自分が東京の戦争を知らなさすぎた、ということ。当地で育ち、学び、調べ、そして時には戦時下を生きた人々の語りを聞き、沖縄の戦争はずっと想像してきた。一方で戦時下の東京の風景を想像することはほとんどなかった。一九四五年三月の冬の東京の寒さを、想像することができない。
銀座の通りからは街灯が取り払われ、資生堂の美容室にあった理美容器具も接収されたという。どれも資材・素材として利用するために。路肩には浅く蓋もない形ばかりの防空用の堀ができた。そのようなことを調べるうちに知った。しかし、どうしても細部がこぼれ落ちてしまう。調べても、見えてこない風景の細部がある。
伊藤存さんの《みえるいきもの(銀座)》《みえない土地》に惹かれたのは、そのタイトル、そしてその保管方法だった。みえるとみえないが、同じトランクの中に収められていた。スケルトン仕様のメディアプレイヤーが二台、それぞれの表面に「Identified Creatures of Ginza」「Unseen Field」とドローイングのように記されている。みえる/Identifiedとみえない/Unseenが同じ場所にある。感知できるものと感知できないもの。それは私が「幾夜」を書き進めながら、そしてこの一年抱いていたことにも通じる疑問でもあった。「みえるいきもの(銀座)」では、様々な生物が星座のようにかたちを結んでは解け、また別のかたちへと変化する。「みえない土地」では、歴史を紐解く、あるいは更新されるー戦争、災害、開発ーように土地はすがたを変えてゆく。それは、「幾夜」を書く中で私が想像した、あるいは見落としてしまった風景、その変化のように思えた。みえるとみえない、そのふたつが繋がり風景として結ばれるには、きっととても長い時間がかかる。
作品 《消えた香り/書かれる手紙》 について
⑦ 資生堂《香水 セレナーデ》
「幾夜」には、戦時下の東京で夜の時間を共に過ごす千代と雪子というふたりの女性が登場する。雪子は資生堂の香水「セレナーデ」をつけている。千代はその香りがお気に入りで、なぜならその香水は自身が好きなシューベルトの歌曲と同じ名前だから。ボトルには、星月があしらわれている。星々は星座のように線で繋がれているが、完全な星座として結ばれることはない。
戦局の悪化により、雪子は出身地である新宮に戻る。東京を離れる際、千代にセレナーデのボトルを託す、「その香水、あなたといるときにしかつけなかった」と言い残して。東京への空襲が激しさを増す中で、セレナーデは使われないままだ。ある時空襲警報が発令され、家にいた千代は必要なものを入れておいた鞄を手に庭の防空壕に入る。その鞄にはセレナーデが入っている。このまま使われずにその香りは消えてゆくのか、薄暗い壕の中で千代は考える。
セレナーデの処方は、資生堂にも残っていないという。私は、その香りを知らない。戦時下の東京でふたりの人間を結びつけた香りは、消えてしまった。でも夜曲と題されたその香りは確かに存在していた。その香りを知る人が、どこかにいるかもしれない。この先に処方が発見され再現されるかもしれない。あるいは、新たなセレナーデの香りが生まれるかもしれない。
⑧ ミヤギフトシ《消えた香り/書かれる手紙》 2021年
新宮で暮らす雪子は千代に宛てた手紙を書く。その手紙は、送られることのないままで雪子の手元に残り続けるかもしれない。千代も雪子に手紙を書くが、検閲が怖くて伝えたいことを書くことができない。送られないまま書き手の手元に残された、あるいは破棄された手紙はどれだけあるのか。戦争が終わった時、千代はどのような手紙を雪子に書くだろう。万年筆の先を便箋にあてたまま、書き出しに迷うだろうか。伝えたいことが多すぎて、一度ペン先を離すだろうか。そこには、インクの小さなしみがひとつ、星のように残されるかもしれない。
「おおらかに、よりしなやかに。」
「あたらしい世界」について
マスクなしにお互いの顔がよくみえ、お互いの声が直接きこえる世界。コロナ禍では直接合わずにすませられることが沢山あることがわかりましたが、何よりも顔をあわせること、直接実感することの大切さを知った気がします。不安が襲うときこそ、あわてず、おおらかに、よりしなやかに。それぞれの人が自分の立っている位置を丁寧に確かめることのできるような暮らしや仕事をしたいです。
収蔵作品からの触発
畠山直哉 《Findling -Schwanenstein, Lohne Rügen》2009年/2015年
⑨ 青木野枝《水のとどまるところ》2005年
私は畠山直哉さんの《Findling -Schwanenstein,Lohne Rügen》と青木野枝さんの《水のとどまるところ》を選び、そこに自分の作品を交じえ、関係を展示してみたいと思いました。《Findling -Schwanenstein, Lohne Rügen》は漂石の写真作品です。漂石は迷子石とも呼ばれていて、氷河に包まれていた石がめぐりめぐってたどりついたものです。自分の作品の思考に、変わりながらあり続ける世界というのがあり、漂石が変成しながらある姿が心にすっと入ってきました。この石は氷河から目覚めたタイムカプセルのようなものですが、写真の場所の地質と異なる地質の石がそこで新たな時間を紡ぎ続けることは、ちょうど人の生活とも似ているとも思いました。この作品には変成するナフタリンの彫刻をあわせてみたくなりました。もうひとつは青木野枝さんの《水のとどまるところ》。青木野枝さんの作品はいつもしなやかでおおらか。こんなに硬い素材を使っているのに、なんと柔らかいふるまいをまとっているのか。同じ彫刻の要素を持ち、ナフタリンとは反対にあるような素材でありながら彫刻をしなやかにとらえる観点で、同じ線上に並べてみたいなと思い選びました。《Findling -Schwanenstein, Lohne Rügen》と《水のとどまるところ》。この二つの作品の間に自分の作品を展示するなら、海を漂うメッセージボトルのようなナフタリンの彫刻作品はどうかな。昔は海だったこの銀座に、三点を“水つづき”に並べてみようと今は思っています。
* 《CAMERA》については今後ウエブサイトのアーティストインタビューで語られています。
作品 《Message 2019/2021》 について
2019年にSHISEIDO THE STOREで、水の記憶をテーマにウィンドウをお手伝いしました。会期後、ガラスケースの内側に変成した結晶をそのままに瓶と共に自宅にしまっていました。
今回は、コロナの言葉も聞こえていなかった頃の時間で封印されていたこの作品に、新たにメッセージを加え、展示することにしました。ボトルには海で拾った陶片を入れようと考えています。どこから流れ着いたのか、前は何の形でどんな風に使われていたのか、そんなことは何ひとつわからない陶片ですが、微かに残る模様が陶片と教えてくれる、石になる途中の海からのメッセージです。陶片入りのボトルは、銀座で育んだ時間をまとい、次の時間を結びます。私たちが今暮らす地球は、不確かでとてもたよりないものですが、変成とともにあるこの景色の中で、人々もしなやかにあり続けているのだと思います。どの作品にも共通する、しなやかさとそれぞれの確かさを感じていただければ嬉しいです。先日、5歳の娘が空を見上げて、もし魔法が使えたら私は水になりたい!といいました。形を変えてどこにでも行けること、親和できること、人を助けられること。色々なことを想像している2021年の初夏です。
⑩ 宮永愛子《message 2019/2021》 2021年
「ものをみる力」
「あたらしい世界」について
医療や経済は私たちの生活に欠かすことのできないものですが、同時にそれらは1つのものの見方や指標に過ぎません。コロナは私たちの世界とそれを捉える私たちの感性に、未だ誰も明らかにできていないような大きな影響を与えていると思います。その未だ見ぬ可能性がこの先、存分に発揮されて、様々な表現が生まれることを期待しています。自分たちもできる限り、肌で感じきたことを手がかりに、新たな展開をしてゆきたいと思います。
収蔵作品からの触発
選んだのは赤瀬川原平さんの《ハグ1》、《ハグ2》という作品です。はじめはあまりに恐れ多いという気持ちがあって、選ぼうと思えなかったのですが、ひと度、収蔵庫で作品を拝見したら、その威力が肌に降り注いで、もうほとんど直感で決めていました。「ものを見て捉える」本当に単純なこの行為に、面と向かって挑戦されてきた赤瀬川さんのとても分厚い作品だと思えました。
⑪ 赤瀬川原平《ハグ2》から椅子2脚 2013年
作品 《matter α#Ⅶ》、《Position》 について
⑭ 目[mé]《matter α #Ⅶ》 2021年砂、石、岩の粒子、など 展示風景より
《ハグ1》は赤瀬川さんが撮影した千円札の写真を大きく引き伸ばした平面作品です。オリジナルではなく複製に価値が宿る貨幣の虚構的な構造を疑った赤瀬川さんの挑戦は、結果として計りしれない価値を生みました。そんな赤瀬川さんの作品から、ある意味では真逆の視点で、目が現在、試みている作品があります。道端に転がっている何でもない石。その無意味なオリジナルを複製することによって、世界をもう一度捉えようとする《matterα》という作品です。視点の違う作品ではありますが、根本には共通するものがあると思い、《ハグ1》の近くに添えてみたいと思いました。
《ハグ2》も同じく、家具としての価値や機能とは裏腹に、ものが古くて駄目になる毎にどうしても生まれる魅力という両義性を備える作品だと思いました。この椅子にとっての「最新の傷」というレイヤーを後から赤瀬川さんが加えることで、より意味の反転を強調させているような作品です。
目は、更にもう一層、「それを見る鑑賞者の目」や「見たという固有の事実」を、疑うというレイヤーを設けています。ちょっと詳しい内容は明かせないのですが、《ハグ2》は、第八次椿会「このあたらしい世界」の会期中、作業員によって不定期に移動させられており、2つの椅子が入れ替わっている可能性が与えられています。
晩年の赤瀬川さんによって作られた《ハグ1》《ハグ2》は、作品の持つ言語的な意味だけでなく、どこか熱にうなされた時の光景を見ているような、言葉にできないような作品の迫力を感じました。それについては、目の作品がお供できているかどうかはわかりません。しかし、それは、作品の前に、鑑賞する人間の感性があって初めて起こる現象だということは確かです。会場に足を運んでくれる方々にとって、何か新たな景色を見出されることに繋がる展覧会であったら嬉しいです。
「あたしい世界」は、まさにそんな、「ものをみる力」を示すものだと思います。
①–⑭ 撮影:加藤健
展示風景
イベント
□オンラインお茶会「Voyage 椿茶会」茶会記
本茶会は、人と会うことがままならないなかで、アーティストが整えたしつらいとともに、オンラインで異なる場所や時間を他者と共有し想像する時を過ごすこと、「身分の区別なく一緒にお茶を楽しみ、自然と共生し、美しくはかないものに思いをめぐらす」という茶の精神に触れる体験を創出したいと願い開催しました。
宇宙を感じられるお茶会を開きたい、と友人に話したら、「好きな時にオンラインできたら時空を超えられるよね」というひとことから、このお茶会がはじまりました。
あなたは今どんなところにいますか?
騒々しい日常でしょうか、一人の空間でしょうか。
数分でも、数十分でも。それぞれがそれぞれのタイミングで旅におでかけください。
ひとつの箱から宙(そら)の海へ。
- 席主
- 宮永愛子
- しつらい
- 中村竜治
田中義久
- お手紙
- ミヤギフトシ
Nocturne/ノクターン(高砂香料工業株式会社)
- 石
- Nerhol
- 茶
- ハーブティー(FARO)
- 映像
- 人長果月
- 素材提供
- 京都大学大学院理学研究科附属花山天文台
- 配信
- 髙野 諭
- 制作
- 資生堂ギャラリー
茶箱
※茶箱の中身にマウスを乗せると説明が出ます。
※茶箱の中身をクリックすると説明が出ます。
誰かが採集した葉。文字のない言葉。景色の伝達
誰かが採集した葉。文字のない言葉。景色の伝達
レストランFAROのプティフール「花のタルト」の材料として使われるオーガニックのハーブを乾燥させて作りました
レストランFAROのプティフール「花のタルト」の材料として使われるオーガニックのハーブを乾燥させて作りました
石の紙で作った紙の石 by Nerhol
石の紙で作った紙の石 by Nerhol
ミヤギフトシさんによる、花山天文台にまつわるものがたりと「Nocturne/ノクターン」の香り
ミヤギフトシさんによる、花山天文台にまつわるものがたりと「Nocturne/ノクターン」の香り
一期一会
とても楽しかったです。企画をありがとうございます。
家にいる時間がさらに長くなったので、それでも外部につながっている気がして、楽しかったです。茶箱が布なのも素敵でした。動画の過去の太陽フレアの観測記録がとても綺麗で、よくわからないなりに眺めて、静かな気持ちで、過ごしました。雨が降ったり晴れたり忙しない天気だったこととマッチしていました。
YouTubeのリアルタイムだったから、九人が見ている、と表示されたりするのも、何だか愉快でした。葉っぱと石は、書斎卓のそばにおきました。
懐かしい大好きだった小説を読み返した後のような、静かで幸せな時間を過ごすことができました。
ぼうっとしました。夏の夜でした。
かたく尖って見えた石の紙の石は手で触れているうちにさらさらとやわらかく感じられました。
誰かの拾ったという葉は、私の拾った葉と似ていて、もしかしたら場所は違えど同じような気持ちでこの葉を選んだかも とか、拾ったときそちらのお天気はどんなでしたか などとたずねるような気持ちになりました。
白いまあるい布の上に想像を巡らせるものたちがあり、よい香りが広がって、映像からは流れる時間を、音からは距離を感じ、甘いお茶をのみながら、どこかの誰かにたずねるように手紙を書くのと似た気持ちでいました。
バケツをひっくり返したような雨が降り、洗濯物を取り込んだりしているうちに、ログインするつもりだった時間から30分以上遅れて参加することになった。その後も天気は不安定で、外の光はドラマチックといっていいほど目まぐるしく変わっていた。そんな中、ゆっくりハーブティをいれ、茶箱とともに届いた「会記」や席主からの鏡文字の手紙をゆっくり読み直し、茶箱のなかのものをひとつずつ手に取ってみた。「お手紙」を読んで、ようやくひととおりのことがわかったような気がした。太陽と宇宙と人のつながりとお茶会。
PCの画面の前に寒冷紗の茶箱を置くと、天文台の「円形プレート」がそのまま手元に投影されているような気分にもなる。天文台からきこえてくるセミの鳴き声と、家の外からきこえるセミの鳴き声は種類がちがい、なんだか不思議なせみ時雨になっていた。そんなことを考え、ゆっくりお茶をいただきながら、今日の天気のようなめまぐるしい生活を送っている自分には、こうしてゆったりした時間を過ごすことが必要だったように思った。
茶箱が人生節目の年の誕生日に届いたのもうれしかった。これからはゆったりした時間を過ごす機会が増えますように。
夕食後に入りましたが、月見のような、心地よい浮遊感のある時間でした。宮永さんと、椿会・資生堂のネットワークを生かした贅沢な御席でした。
時報ツイートがあったことを今まで気づかず、一人このお茶会に参加し蝉時雨の音を聞きながら太陽の黒点(最初は香料の中に書かれたエッセイを読むまでわかりませんでした)を眺めながら自分自身と向き合う時間でした。同席者との唯一のつながりは誰かわからない人が散歩の途中で採取したポプラの小さな葉。それは私の故郷札幌の風景に重なり幼い頃の思い出が鮮やかに蘇りました。
予想(茶会・茶箱・会記など慣れ親しんだ茶道の用語からくる期待)を覆す展開にアーティストの想像・創造力を感じました。型にハマらない人生を送っていきたいです
たまたまワクチン接種して早く帰宅した「エアポケットのような時間」だったこともあいまって、窓の外の空の青さや雲の動き、うっすらと見えてきた月に次々と気持ちが向く、穏やかなひとときでした。
昼間はセミの声、夜は遠くを走る電車の音やバイクの、夜のにおいも感じられるような音がしました。石やお手紙から想像できるものも多く、長くは見ることはできませんでしたが、よい1日を過ごすことができました。
日常を忘れて、ゆったりとした時間を過ごすことが出来た。また機会があれば是非参加してみたいです!
三好達治の「大阿蘇」を読んだ時に感じた時間の流れを思い出しました。
香りに包まれながら映像を観て、蝉の声や雨の音を聴いて、素敵な文章を読んで、美味しいお茶をいただく。贅沢な時間でした。
久しぶりに晴れた日、昼過ぎに猛烈な雨が降り、その雨が上がったころに、茶箱のこよりをほどきました。
葉と石と茶を取りだし、手紙を開き、花とハーブの複雑な香りをティーポットに集めてお茶を抽出。想像していたより濃いめになってしまったのか、最初は深く透明な緑色のお茶ができました。ハーブの清涼感がしっかりただよう森のようなイメージ。
ちょっと濃いかな、とカップに少し差し湯をすると、サーッと深い琥珀色が出現。楽しくなります。
紙の石をすこし撫でて、お香のような香りの付いた手紙を読み、見知らぬ人のベランダで摘まれた葉を並べ、ガラスのカップに入ったハーブティーをスルスルと飲み進め、残った茶殻に常温の水を差しておきました。
夕方になって再度お茶をカップに注ぐと、今度は淡い澄んだ水色があらわれました。バタフライピー?のようでブレンドされたハーブティーの面白さを見つけ、うれしくなりました。
天気の移ろいで始まり、色の移ろいをアクセントに、手紙にあった遠い天文台までイメージをひろげ、どこかでいれられてたお茶に少し気にかけながら、今日の茶会を締めました。
雨空の日の昼間は、夏とは思えない柔らかい陽射し。雨音とネットの音源が上手く調和し、耳に優しい。いつもと違うお茶の香りは味わい新鮮。送付いただいた木の葉を床の間にセットすると、緑が目に映える。残暑を初夏に引き戻す茶会の様だ。
陽が落ち、明かりを灯すと、二杯目は、香が鼻にも舌にも馴染んで、味わいがしっくり。木の葉や石、ガラス作品を飾るディスプレイ台の明るさだけにすると、古の陰影の時間がおとづれた様。ネットから聴こえる静寂は、独り過ごす時間を礼讃し、明日への期待に変えてくれる。
8月は秋の実の穂を願い、一休みする時期でもあるので、お茶会で小休止、色々と想いを馳せれる時間を楽しめました。
セッティングありがと。
YouTubeへログインの前に、石の紙、お手紙を読んでログインしました。触れた感触のせいか。ログインして虫の鳴き声に目を閉じると子どもの頃にタイムスリップしたような感じになり、夢心地でした。
23:10ログインの時には、音楽にあわせて体がゆれました。(音楽が聞こえたように感じました)
就寝前にもう一度、アクセス。
雨上がりの夜空はまだまだ、暗く、音だけが頼り。庭の虫の声とネットの音源が入り混じり、あっちなのか、こっちなのか、よくわからない不思議な状況。
ポットにお湯を注ぐと、飲み尽くしたはずの茶葉が元気に踊る。眺めていると、ほのかにお茶の香りも戻ってくる。何かに、つながり出した様で、引き戻されるのか、明日もしっかりなのか、今はどっちと思いながら、次回の茶会も参加したいなと思う。
おやすみなさい。また、逢う日まで。
今回のイベントにエントリーさせていただいた直後、個人的に思いがけないことが起こり、ある意味、いつも見える景色が違って見えるという中での、異次元茶室(ワールド)体験でした。ゆるりと流れる時間に浸って無重力感覚を味わった気分です。瞑想にも通じるような「密」であり「虚」のときを堪能させていただきました。ありがとうございました。
普段の環境では聞くことの出来ない虫の音とともに次々映し出される太陽の記録を眺めつつ、思いを馳せる時間を過ごさせてもらいました。
素敵なお茶箱とともに貴重な体験をさせてもらいありがとうございました。
仕事で参加した時間が遅くなってしまい、皆さまとの意見交換などができずに残念でした。
今回は、妻と一緒に参加させて頂きました。夏の終わりを感じさせる涼風を感じながら、同封してあったハーブティーを飲み、お手紙を朗読する中で、懐かしいような、心地よい時間を過ごすことが出来ました。また、天体観測をしながら、ゆっくりとした時間の流れに浸ることができ、本当にいい体験ができたと感じています。次回は、もっと長い時間参加できたらと思っています。
今回はこのような機会を設けて頂き、誠に有難うございました。
茶箱が届いたときから、良い香りがし楽しみにしていました。宇宙を感じるお茶会。天文台を通した宇宙、お手紙、触れる石、香り、お茶、そして参加する私。。。これまでの目の前で参加するお茶会では体験しえない、時間軸をも越える4次元的な、五感を刺激する「つながる・感じるお茶会」でした。あらためて自分も宇宙の一部であることを実感し、宇宙の声に耳を澄ます時間でした。
これまでにない新しい体験をどうもありがとうございました。
空間を超えて多数の方と場を共有できた感覚がありました。お茶箱のしつらえがとても素敵でした。
最初はどう振舞ってよいのか戸惑いましたが、そのうち“自分の心地よいペース”を掴んできて、楽しみました。久しぶりにティーポットでお茶を入れ、フィンランドで購入した植物柄のアラビアのティーカップで、ゆっくり深い呼吸をしながら頂きました。香りもすごく良くてほっこりしました。
そのあと、ログインした天文台のムービーを見たり、お茶箱にあった石や誰かの葉を触れてみて、お手紙を開封。明けた途端にフワッと良い香りがしてワクワクし、お手紙をゆっくり読みました。白木蓮の香りかぁとその高潔で柔らかな香りをかぎながら、資生堂ギャラリーで見た「セレナーデ」の香水瓶を思い出し、1938年前後の歴史的な出来事を調べたりして、当時の大きなうねりの中で静かに咲いていた白木蓮を想像したりしました。1937年に川端康成の雪国が発行されたこともネットで見つけ、今回のお茶会には関係ないのですが、それと香りがきっかけとなり、美意識とはということに思いを巡らせました。
お手紙には私の知らないこともいくつか出てきて、ひとつひとつ調べながら色々な“時”を感じました。ちょうど仕事で歴史の勉強をしていたので、私にとってはタイムリーでした。
天文台のムービーは白い円盤が象徴的で、宮永さんのインタビュー動画も見ながら太陽の恵みを感じ、万物資生について、また考えてみました。
というように、私は今回のお茶会でも仕事関連のテーマがどんどん思い浮かんできましたが、それはそれですごく良かったです。パソコンの前で企画書を書く時とは違う思考回路が働いている気がしました。
お気に入りの場所でお気に入りの器で好きな時間に参加でき、五感を刺激する今回の試みはとても面白かったです。コロナ禍という不自由さを感じるなかで、一人でいても誰かの存在や自然を感じることができる贅沢な時間をいただきました。ありがとうございました。
初め、どのようにしてよいか分からなかった。ミシン目を開くと、甘い香りが漂い、手紙を見て、ライブ映像は太陽の黒点を観察しているとわかった。暫くして、蝉の鳴き声に気がついた。紙でできた石は白い鋭利な形状で、突き刺さりそうな感じがしたが、触ると柔らかく、不思議な感覚だった。お湯を耐熱性ガラスポットで沸かして、お茶をいれることとした。日々入れる、オーガニックのハーブティーよもぎ、ローズマリー、カモミール、レモンバームとは違い、カラフルな花も混じっていて、香りもさわやかで、赤と黄の花を試すことにした。出来上がりが楽しみになった。見事にオレンジとなり、ハーブの香りをホットで味わいました。感性盛りだくさんで、芸術や茶会に接する機会のない私には幻想的な貴重な体験となりました。身分の区別なく一緒にお茶を楽しみ、自然と共生し、美しくはかないものに思いをめぐらすという茶の精神も知ることができました。ありがとうございました。
今回のしつらえに個人的にちょっとしたリンクのある事柄がかなり多いことがわかり、すこし変わった感覚で参加させていただいたかもなと思っています。終わった後、深く静かな落ち着いた感覚を得ることができました。(ちなみに、ツイートに、天文台にマイクを置いてあることやセミの声の話がありましたが、私の見ている映像からは特に音は聴こえていませんでした。それであっていたのか、本当は何か聴こえるはずだったのかがわからず、その疑問だけ少し残っています。)
まずはこのような素敵な企画をありがとうございました。こういう企画をもっとして欲しく、素晴らしい企画だと思いました。ただ参加してみて、動画の映像と小説を理解するまでにとても時間がかかりました。一般市民からすると理解するのに時間がかかる内容とコンセプトであったため、もう少しわかりやすい内容の方が良いかもと思いました。
またお茶もハーブティーではなく、今の資生堂だからできる日本の素晴らしさを入れた日本文化を見つめ直してもらう機会として抹茶や茶道といった内容の方が、この時代には合ってるのかなと思いました。
不思議な気分になりました。どこか違う世界に入り込んだようでした。
天体画像を見ながら、お茶箱の中の葉、石、お手紙と香り、お茶のすべてを五感で楽しみ、とてもゆっくりした気持ちになりました。あらためて、自宅で、自然や、誰かを感じながらこんなお茶会が実現できるのだなぁと感じておりました。
スタートの12時時点では天体ではなくドアから漏れる外の光が見えていましたが、夜、再度参加しましたら美しい天体画像を見る事ができました。お招きいただいた席主宮永さんをはじめ、参加された作家さん、豊田さんに感謝しながら宇宙に、自然に思いをはせておりました。ありがとうございました。
日常を忘れて、悠久の時と遠い地に思いを馳せ、心安らかな時間を過ごすことが出来ました。
贅沢なひと時を、ありがとうございました。
昨今、慌しく時間に追われる毎日でした。椿茶会に参加し、心静かで豊かな時を過ごすことができました。開催に関わってくださった全ての皆様に感謝です。ありがとうございました。今後も折を見て、自然の声に耳を傾け、自分の心とも向き合う静かな時間を持ちたいです。
刻一刻と変化していく黒点データ
常に変わる背景音
デジタルでの"茶室"が変容していく様が心惹かれた。
茶箱が届いてから茶会までの時間、茶箱を開けるのは控えていましたが、置いてあった部屋中に漂う香りや、透けて見える中味にいろいろ想像を膨らませて、そこから楽しい時間がスタートしていました。
当日お茶を飲みながら、お手紙を読んで香りの正体がわかったり、画像を映しつつ、花山天文台のサイトのパノラマ画像も開けて、そこにいるかのような雰囲気を味わったりしました。
当日、関東の天気はほとんど晴れの予報だったにも関わらず、自宅では朝から雨が降ったり止んだり。
遠い昔、当時は夏休みの何でもない1日だったのが、今となっては手を伸ばしても届かない・・・
そんなノスタルジックな気分に浸るには十分なシチュエーションに思いがけず恵まれたひとときでした。ありがとうございました。
花山天文台
photo by Futoshi Miyagi
ツバキカイ8への質問
coming soon...
椿会とは
アクセス・開催要項
「第八次椿会 ツバキカイ 8 このあたらしい世界」
- 主催
- 株式会社 資生堂
- 会期
- 2021年6月5日(土)~8月29(日)
- 会場
- 資生堂ギャラリー
〒104-0061 東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
tel. 03-3572-3901
fax. 03-3572-3951
地下鉄銀座駅 A2出口から徒歩4分
地下鉄新橋駅 1番出口から徒歩4分
JR新橋駅 銀座口から徒歩5分
- URL
- 営業時間
- 火~土 11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
- 休館日
- 毎週月曜休 (月曜日が休日にあたる場合も休館) 及び 8月16日(月)~23日(月)夏期休館
- 入館料
- 入場無料
※新型コロナウイルス感染症の状況により、内容およびスケジュールに一部変更等が生じる可能性があることを予めご了承ください。