資生堂が創業150周年を迎える本年、これまでの当社の歴史を再考し、未来に思いを巡らせる試みとして、資生堂ギャラリー(東京・銀座)と資生堂アートハウス(静岡県掛川市)* において、二つの展覧会を開催します。
1872年、資生堂の創業者・福原有信は、銀座に日本初の民間洋風調剤薬局「資生堂」を開業しました。社名は、中国の儒教の経典であり、占いの書でもある『易経』の一節、「至哉坤元 万物資生(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか、すべてのものはここから生まれる)」に由来します。1910年代、資生堂は薬品から本格的に化粧品事業へと舵を切り、初代社長・福原信三による多岐に渡る活動が展開されますが、社名に込められた思いは引き継がれ、環境と、社会と、人への敬意が、150年にわたる事業活動を支えてきました。生活様式や価値観が大きく変化した現代において、「万物資生」という思想は、どのように新たな文脈から読み解くことができるのでしょうか。
資生堂ギャラリーの「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」では、文献調査やフィールドワークをもとに作品を発表してきた美術家・中村裕太とともに、企業資料を用いながら「万物資生」の思想を紐解いていきます。中村は、「万物資生」という言葉を、「目に見えないつかまへられないものが天から来て、地上の物質がそれを受取つて生物を生ずる」と解した文献(飯島忠夫『易経研究』信濃教育会、1932年)に着目し、「調合」という方法を導き出しました。大展示室では、創業時から1940年代初頭までの化粧品や広告と、資生堂にまつわる人物のうち岸田劉生、富本憲吉、今和次郎らの活動を調合し、この時代と資生堂との関わりを、中村の造形とともに相関していきます。また、小展示室では、化粧品の原料となる椿種子の残材を釉薬として調合した中村の作品を展示し、会期中には、トークイベント等を行いながらアートとサイエンスやサステナビリティについての考えを深める場とする予定です。このような「調合」を作品制作の方法として取り入れることで、複層的に「万物資生」という思想を浮かび上がらせていきます。
資生堂が150年間にわたり継承してきた「万物資生」という思想を紐解き、さまざまな調合を試みる本展を通じて、未来の社会創造へのヒントを見出していただけたら幸いです。
*資生堂アートハウスでは、2022年1月25日(火)~4月8日(金)に、「銀座と椿と資生堂」を開催します。資生堂の企業イメージに結び付く創業の地「銀座」と「椿」に題材を採った、美術品や工芸品、化粧品やパンフレットなどの企業資料を精選し、過去から現在へと続く二つのイメージの変容を辿りながら、芸術によって培われた資生堂の美意識の一端を紹介します。
※詳細は、資生堂アートハウスHPをご確認ください。