異なるジャンルのクリエーションに関わる3人が審査し、3つの個展の中で、資生堂ギャラリーの空間に果敢に挑み、新しい価値の創造を最も感じさせた展覧会にshiseido art egg賞を贈ります。
第16回 shiseido art egg賞
第16回 shiseido art egg賞は、佐藤 壮馬氏に決定いたしました。
2023年5 月 31 日には授賞式を行い、当社取締役常務の鈴木 ゆかりより、佐藤氏にトロフィー並びに賞金 20 万円を贈りました。
受賞の言葉
制作過程から、展示の始まりから終わりまで、そしてその後も、shiseido art egg を通して様ざまな出会いがありました。小さな心の揺れを静かに見つめ、作品を制作し、展示ができた先にあったこの喜びと経験は、これからの私の創造活動において新たな礎となります。これまでご支援いただいた方々、ご協力してくださった大湫の方々、資生堂の方々の美の探求と創造への飽くなき情熱に、心より感謝を申し上げます。
審査総評
本年の審査員は諏訪 綾子、温 又柔、磯谷 博史の 3 氏です。審査員は shiseido art egg 展の開催期間中に各展示を鑑賞し、作家からの解説を受け、対話を経て審査にのぞみました。
大切な思い出や消えかかっている風習など、小さな物語を封入した装置のインスタレーションにより記憶を空間に立ち上げようと試みた岡 ともみ、白い布と黒い糸を使った平面作品や、家具やカーテンなどの実物大の立体作品を組み合わせ、何気ない日常の温かさと儚さを表現した YU SORA、倒壊した神社のご神木を多様な手法で作品化し、モノや空間のもつ時間の流れや関係性などを模索した佐藤 壮馬。素材や表現方法、空間へのアプローチには各者の個性が現れていましたが、不確実で不安定な時代を反映しているのか、失われつつある記憶や空間をつなぎ止めて時空を超えようとする感覚や、その共有を試みる姿勢は共通していました。
審査の主要基準に「作品の完成度の高さ」がありますが、意図した空間を高い完成度で構築した岡展、誰もが共感できる安心感と不安の両面を巧みに見せた YU 展、世界の見え方に疑問を抱きながら未知の領域を探求している佐藤展の評価とともに、美術における“完成度”について、さらには新人賞の役割についても問いを重ねながらの議論が展開されました。
最終的には既存のアートの枠組みを撹乱し、拡張していく大きなポテンシャルが評価され、今年の shiseidoart egg 賞は佐藤 壮馬に決定しました。
貴重なお時間を shiseido art egg 賞審査に費やし、美術の本質や資生堂の文化芸術活動の本義に立ち返った議論を行ってくださった諏訪 綾子氏、温 又柔氏、磯谷 博史氏に心から御礼申し上げます。
審査員所感
岡 ともみ展「サカサゴト」
文字盤が反転し、針も逆回転する 11 台の柱時計が大展示室の薄暗い空間に浮かび上がり、時計の振り子室には日本各地に残る葬送に関する風習を題材にした映像やオブジェが納められている。死者が出た際に日常の様々な動作を逆に行う「サカサゴト」という風習に着目し、日本各地に残る風習を紐解いて、葬送の形や死との向き合い方について再考したインスタレーションである。
ここ数年は、身近な人の死を経験したり、故郷へ帰れない寂しさから、多くの人から共感を得たコンセプトといえる。暗い展示空間にはこの世とあの世の境界のような気配が漂い、次第に、今生きているこの世界が全てではないと感じられてくる。各地の風習等のリサーチは綿密で、祖父の死という個人的な体験も織り込みながら、作家の感じてほしいストーリーを鑑賞者に過不足なく感じさせる手腕は見事である。また、造作の完成度の高さは、凄みも感じさせた。
一方、コントロール能力の高さや構成の隙のなさは、受け手がイメージを広げる余白が少ないことにもつながる。おそらく鑑賞者が展示から受け取った感情は、岡の想定範囲を大きくは越えなかっただろう。空間における身体性と情報量のバランスにも一考の余地があった。個々の映像にじっくり向き合うには作品数は多かったし、リサーチに基づく解説テキストは空間が暗いため鑑賞中に照らし合わせて読むことができない。作家の想いをより効果的に伝え、かつ、鑑賞者が思いをめぐらせる余白を残すためには、もう少し引き算しても良かったと思われる(あるいは、より突き抜けた過剰さを追求してもよいかもしれない)。
場を読み込み、自身の作品空間として構築する能力は明らかである。異なるアプローチをするとどうなるか、他の作品への興味もかき立てられた。岡の今後の活躍が楽しみである。
YU SORA 展「もずく、たまご」
白い布と黒い糸を用いて日常の風景を作品化する YU SORA。大展示室には原寸大のテーブルと椅子などの立体作品と、身近にある小物を刺繍した平面作品を展示し、小展示室はベッドや日用品の立体作品を配した1つの部屋のインスタレーションとして構成した。
日常の実感を制作の出発点としたシンプルさ、誰もが自身と重ね合わせて共感し、安堵できる優しさには好感がもてるし、白一色の空間に浮かび上がる黒い輪郭線は視覚的に魅力的だ。手仕事という側面が注目されがちな刺繍という手法を用いながら、輪郭線を刺繍している平面作品に対し、立体作品も展開するなど、平面性と物質感に対するバランス感覚もよい。レシートの作品は記憶喪失の主人公がポケットのレシートを手がかりに自身が何者であるかを探っていく「海に落とした名前」(多和田葉子の小説)も想起させ、個人のアイデンティティが何に規定されているのか思いを巡らせることを楽しめた。
本展では、会場に訪れた誰もが YU の意図する「日常の大切さ」に共感したことであろう。しかし、それを創作の着地点にしてしまうと、長い余韻を生むには物足りなさも生じる。ほつれた黒い糸が垂れ下がって揺れる様は、穏やかな日常の脆さを暗示しているが、それ以上に共感しがたい違和感、日常の裂け目のような不穏さも込めることができれば、作品の強度はより増したのではないだろうか。韓国と日本を行き来する中で双方の価値観が交わり、YU 独自の視点がさらに磨かれるだろう。そうした複眼的な視点が反映するであろうことを思うと、作家の今後の飛躍がとても楽しみである。
今後は、家やオフィス、さらには集合住宅サイズなどへ、観客も巻き込むかたちで作品をスケールアップさせながら、活躍の場を広げていくのではないだろうか。YU はそれだけの実力のある作家である。
佐藤 壮馬展「おもかげのうつろひ」
展示の導入部分には、3D 計測で得た点群データや立体オブジェ、さまざまな言語でインタビューに応じる者たちの音声で構成した作品を置き、花の実体を見せずに花の総体に迫ることを試みた。続く大小の展示室では、岐阜県・神明神社の倒壊したご神木をモチーフにしたコンセプチュアルな作品を展開した。作家は倒木の報道からインスピレーションを得てたびたび現地を訪れ、3D スキャンと写真で記録をとり、許可を得てご神木の欠片を持ち帰ったという。それらに基づいて制作した 3D 断片や写真、木をアクリル樹脂で包んだ立体などを通して、モノや人間の身体と時空間との関係、記憶や心のありようなどを探求した。
ご神木を断片と空洞で示したことに表れているように、見えないものを見せようとするところに主題がある。視覚によらずに対象の姿をとらえようと、フィールドワーク、数値データ、言葉など、多用な手法を総動員して異なる視座を探るアプローチは稀有である。また、ご神木と最新の科学技術を出合わせ、信仰と科学の時間について考えるという発想も独自性が高い。
展示は説明なしで作家の意図が伝わるとは言い難く、花について語る音声で空間を統合する手法をはじめ、完成度を上げていく余地はまだまだある。そもそも佐藤自身がコンセプトを咀嚼しきれていない感もある。
しかし、世界の見え方を疑い、多分野への違和感を表現しようと模索する姿勢からは、既存のアートの枠組みを撹乱し、拡張していく大きなポテンシャルが感じられた。もがきながらの表現も、既成の枠に収まらない、未知の領域に挑戦するがゆえだろう。志の高さにまだ表現は追いついていないが、そのギャップがスリリングな魅力になっている面もある。これらの点を評価し、また今後への期待も込めて、第 16 回 shiseido art egg 賞は、佐藤に決定した。
審査員
諏訪 綾子(アーティスト/food creation 主宰)
石川県生まれ。2006 年より food creation の活動を開始、主宰を務める。欲望、好奇心、進化をテーマにした食に関する作品をパフォーミングアート、インスタレーション、ダイニングエクスペリエンスなどの手法で数多く発表。2014-15 年、金沢 21 世紀美術館 開館 10 周年記念展覧会「好奇心のあじわい好奇心のミュージアム」を、東京大学総合研究博物館とともに開催。2019 年「Journey on the Tongue」が EU とアルスエレクトロニカによるアワード「STARTS Prize」の Winners に選出される。2020 年「記憶の珍味 諏訪綾子展」を資生堂ギャラリーで開催。
温 又柔(小説家)
台湾・台北市生まれ 。3 歳より東京在住。小説「好去好来歌」(2009)で第 33 回すばる文学賞佳作を受賞。高山明氏演出の演劇プロジェクト「東京ヘテロトピア」(2013)に参加し東京のアジア系住民の物語を執筆。『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2015)で第 64 回日本エッセイスト・クラブ賞、2019 年文化庁長官表彰。『魯肉飯のさえずり』(中央公論社、2020)で第 37 回織田作之助賞を受賞。自身の出自をテーマにした小説やエッセイは大きな注目を集めている。
磯谷 博史(美術家)
東京都生まれ。彫刻や写真、ドローイング、それら相互の関わりを通して、時間や認識の一貫性への再考を促す作品を制作する。主な個展に、「動詞を見つける」(小海町高原美術館、2022)、「『さあ、もう行きなさい』鳥は言う『真実も度を超すと人間には耐えられないから』」(SCAI PIRAMIDE、2021)、主なグループ展に「Lʼ Image et son double」(ポンピドゥー・センター、2021)、「六本木クロッシング 2019:つないでみる」(森美術館、2019)など。
第 16 回 shiseido art egg 賞トロフィーについて
日本の木「ナラ」で制作された世界でひとつのトロフィーです。本トロフィーは、カリモク家具*とのコラボレーションで実現しました。家具製造の過程で出る端材を再利用し、少し変形したようなたまごのフォルムは、社会に柔軟に適応しながら、多くの事を吸収するしなやかさを表現しています。
*カリモク家具:端材や未利用材を活用した製品の開発など、森林資源の有効活用を推進する木製家具メーカー。当社 BAUM ブランドの容器制作もコラボレーションしています。
撮影:加藤健
記事:桜井裕子
これまでのshiseido art egg賞の結果は下記よりご覧ください。