凝縮した2日間にわたるshiseido art eggの審査の翌朝、ヴェネチア・ビエンナーレを見る目的で飛行機に乗った。ビエンナーレの主会場では「All the World’s Futures」という展覧会が開催されていた。社会性のある国際展を手がけてきたナイジェリア出身のオクイ・エンヴェゾーの企画で、日本からは石田徹也が参加し、新鮮かつ刺激的な内容だった。ロボット化した無表情なサラリーマン風の人物が驚きの光景に登場する石田の絵画は、国内でも回顧展が続き高い評価を得ている。10年前に31歳で急逝した画家の深い精神性と画業を偲びつつ、時代を待たずに逝った画家が、もし今の日本を描いたらどんな作品になっただろうと想像した。
応募者がこれまで最多となる今回の審査の特徴は、20代の応募者が増えて平均年齢が低くなったことだ。まだ最終審査の俎上に載ったケースはないが、定年退職後、shiseido art eggに夢のデヴューを果たす人がいたら素敵だと思う。年齢とアーティストとしての成熟は必ずしも一致しない。子供の頃から明確な自意識を持つ人もいれば、さまざまな仕事を経てある日突然啓示を得て出発する人もいる。先の石田徹也は早熟で、つねに死を見つめて制作したからなのか、20代末なのに悲哀が滲む「晩年作」がある。若い応募者の中にも、現実の闇と自らの不安を重層させて制作する人達がいたが、もう一歩踏み込んで表現を練り上げたら、豊かな方法論が育まれてゆくように思えた。さらなる展開を期待したい。shiseido art eggの20代の参加者、七搦(ななからげ)綾乃氏の木彫には、生存の根源を正視するまなざしがあり、地味だがその根気強さが、素材に息を吹き込むように感じられた。
経験を積んだ30代以上のアーティストのプロポーザルは多岐にわたり、興味深い内容に富んでいた。とくに海外で滞在制作をした作家達は洗練されたコンセプトを身につけ、写真や映像を駆使するサイトスペシフィックなインスタレーションを展開している。さらに政治・社会の動向を反映したマニフェスト的インスタレーションなどの提案もあり、グローバルな広がりの中に蓄積された実力が実っている。最終的に参加者として残った川久保ジョイ氏とGABOMI.氏はともに写真をメディアにしている。他の応募者の中にも自然風景やポートレートなどをモチーフにするシャープで魅力的な写真作品があった。そして最後まで残ったユニークなプロポーザルは、アマチュア写真家が多い日本の現状を歴史や教育における影響から解き明かすプロジェクトで、今回も審査がかなり難航したことを記しておきたい。
水沢 勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)
近年の傾向として、特別な表現ジャンルが突出して時代をリードするという印象が希薄になっているように感じられる。
新進アーティストたちを支援するshiseido art eggの応募作品も、以前のような、流行のジャンルのような色分けが無効になってきた。すべては同列に、フラットに、凸凹があまり感じられないように現れ出ている。おそらくその背景には、すべてをデジタル化し、すぐに整理し、アーカイブ化してしまうメガデータの電子的な処理能力の急速な発展があるのだと思う。いままで先を争っていたのが、先頭の特権性は、データの比較によって相対化され、同じようなパターン認識によってその特異性は減衰してしまうのだ。
その結果、奇妙なことだが、むしろ伝統的な表現方法、古臭いとされて晴れ舞台から退いていた表現ジャンルが、新鮮なものとして「発見」されつつあるように思えるのである。これは一部のエリート主義的な現代美術の囲い込みの呪縛からの解放も意味している。
もちろん、芸術は、絶え間ない探求の連続であり、その姿勢が崩れたとき、日用品の一部になってしまう。たとえ、日用品のふりをしても、そこにしたたかに芸術的な操作を仕組まなければ芸術的表現たりえない。
しかし、その可能性が、ジャンルの流行のような日常性から離れることによって、かえって大きく広がっている。今回の審査を通じて、もっとも印象的な近年の特徴は、表現ジャンルの平準化であり、それが、かえって個々の表現の質がジャンルを超えて問われることになり、結果的に、その強度がよりいっそう高まるのではないかという期待感である。
今回選ばれた、インスタレーション、写真、彫刻の若い才能たちに対しても、そのような可能性を予感している。
岡部 あおみ
画家の父親をもち、1979年トレドで生まれた川久保ジョイは18歳までスペインで育った。英語も堪能、金融業界で一時トレーダーになり、旅を重ねたりしていたので、アートの世界ではまだフレッシュマンの勢いがある。放射線量が高い福島の地にフィルムを埋めてプリントした作品が、2014年のVOCA展で大原美術館賞を受賞するなど、急速に注目を浴びている。その福島の写真はイエローの背景にオレンジ色が中心から放射された、どこかマーク・ロスコの抽象絵画を想わせる色彩である。『千の太陽の光が一時に天空に輝きを放ったならば』というこの作品のタイトルは、ヒンドゥー教の聖典からの引用で、米国の物理学者オッペンハイマーが世界初の核実験の際に想起した言葉だという。叡智と絶滅、相反する光線の矛盾のさなかを人類は生き延びてきた。この代表作に象徴されるように、川久保は世界認識のツールとしての科学、宗教、文学、芸術など壮大な人類の歴史と自ら疑問に感じる身近な社会問題を同時に視野に入れ、写真のみならず、音響、ネオンなどさまざまなメディアを用いるインスタレーションも展開している。現実にはない事象を語る文学、あるいは幻想の美を描く絵画のように、写真も形而的光といった不可視の何かを写せるのか。3.11以降、川久保は自ら資金集めをして、日本のすべての原子力発電所の写真を撮るプロジェクト「The New Clear Age」を進めている。より良い未来を希求する精力的な探求と挑戦の成果を、shiseido art eggで垣間見られる日が待ち遠しい。