shiseido art egg賞―クリエーションに関わる様々な分野で活躍する3人が審査し、3つの個展の中で、資生堂ギャラリーの空間に果敢に挑み、新しい価値の創造を最も感じさせた展覧会にshiseido art egg賞を贈ります。
第11回 shiseido art egg賞
第11回 shiseido art egg賞は、沖潤子(おきじゅんこ)さんに決定いたしました。
9月20日に行われた贈賞式において、当社副社長の岩井より沖さんにトロフィー並びに賞金20万円を贈りました。
トロフィーデザイン 資生堂 宣伝・デザイン部:鎌村和貴(制作:坂爪康太郎)
受賞の言葉
このような賞をいただき、ここまでの道のりを支えてくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
20年前、娘にある本を贈りました。当時の資生堂宣伝部から出版された子供向けの哲学的な問いかけの本で、「70歳になった時、人生好きなところからやり直せる薬ができたら飲む?」という質問がありました。70歳の私がそのときどうしていたいかを考えてみることはとても自由で勇敢なことに思え、この問いが将来の自分を考えるきっかけとなりました。当時会社員だった私は「10年後の私はこの手で作品を制作し、頭の中は次の展覧会のことでいっぱいである」と手帳に書きました。今それが実現していることを実感し、感無量です。これからも同じ気持ちで制作を続けていきます。見守っていただけたら嬉しく思います。この度はありがとうございました。
審査総評
本年の審査員は岩渕貞哉、宮永愛子、中村竜治の3氏が務めました。審査員はshiseido art egg展の開催期間中に3つの展示を鑑賞した上で、初の試みとなる対話型審査会に臨み、作家やオーディエンスに公開された会場で、作家への質疑応答を行いながら審査を進めました。
Webやスマホによりデジタルイメージが身近な存在になった現在における新たな写真の可能性を探求する吉田志穂、古布と自身の記憶を重ね合わせるように布に自己流の刺繍を施す沖潤子、美術館やギャラリーに特有な展示空間「ホワイトキューブ」をモチーフに、ギャラリーの中に虚構のイメージを立ち上がらせた菅亮平。shiseido art egg賞の3人の展示はジャンルも表現手法も異なり、審査にあたっては、美術自体の価値観が多様化する今日において一つの審査基準で評価することの難しさが再確認されました。
審査の中では展示の完成度という点において、細部まで緻密に構成した菅が頭一つ抜けていたということが話題になりました。一方、展示は「ギャラリーの空間を活かしきれていない」との指摘もありながら、多様な技法で新しい写真表現を模索する吉田のチャレンジングな姿勢や、作品から溢れ出る沖の想いや情熱は見る者に強い印象を与えたのではないかという意見もありました。
これを受け、展示の完成度に加え、展示から感じられる様々な要素をどの程度考慮するべきかが論点となり、評価基準から問い直す真摯な議論が続けられました。最終的には、増殖するような刺繍の迫力と凄み、作品から溢れ出てくる熱量の高さに加え、美術という領域を拡大し得る可能性を秘めていると考えられることから、今年のshiseido art egg賞は沖潤子に決定しました。
貴重な時間をshiseido art egg賞審査に費やし、公開の場というプレッシャーのもとで熱く議論してくださった岩渕貞哉氏、宮永愛子氏、中村竜治氏および、長時間の審査に立ち会ってくださったオーディエンスの皆さまに心からお礼申し上げます。
審査員所感
「測量|山」/「砂の下の鯨」 吉田志穂展
2017年6月2日(金)~6月25日(日)
画像検索やGoogleマップなどを利用した撮影地のリサーチをもとに、実際に現地へ赴いて撮影し、想像とのギャップや重なりを意識しながらデジタルとアナログの写真を複合的に組み合わせるという、独自のプロセスで制作した作品を展示。大展示室では、検索画像や地図から想像した山の風景と実際の撮影プロセスを重ね合わせた写真を、山の稜線のように動きをもたせて配した。小展示室では、生まれ育った土地で作家の知らないうちに起きた鯨の座礁という“事件”をモチーフに、砂に埋められた見えない鯨のイメージを映像等で浮かび上がらせた。
従来のアナログ写真と新しいメディア環境を独特の視点で組み合わせて、さまざまな新しい試み、オリジナルの手法に挑戦している姿勢には好感がもてる。作品には、この先の展開に自然と興味を抱かせる若々しい魅力があった。
ただ、アナログとデジタルの重ね合わせ方自体が多様である上、表現方法が多岐にわたることもあって、展示自体が未整理で散漫な印象を受けた。特に大展示室はあえて動線をつくらず鑑賞者が自由に回遊できるようにしているが、それもあり、作家が何を最も大切に考えているのかが伝わりにくかったところがある。独自の視点をもっと掘り下げ、一つの展示におけるストーリーを明確にして提示できれば、より強い印象を残せただろう。
今後、発想の自由さというこの作家の持ち味をさらに伸ばしていくには、感覚に頼りすぎることなく、一つの展示をする際に自身でルールを設け、それにもとづいた構成をしていくとよいと考えられる。
「月と蛹(さなぎ)」 沖潤子展
2017年6月30日(金)~7月23日(日)
大展示室では、かつてそれを用いていた人の物語が垣間見える古布に自己流の刺繍を施した作品を、暗い室内に吊り下げて浮かび上がらせるように展示。布が経てきた時間と記憶に針目を重ねていくという作家の行為によって、古布は変容し、新たな生命を得たかのような姿を見せていた。小展示室では積み重ねた古布、針山のオブジェ、縫っていく過程の映像と、制作の背景を見せた。
作品は作家の情熱と可能性を強く感じさせるものだった。ただ、作品の展示にあたって多くの要素が用いられており、作品に集中しにくくなるところがあった。また、個人的な心情を作品に投影しすぎると鑑賞者の共感が得にくくなるという懸念もあり、展示の完成度としては、検討の余地が残されていたといえる。
しかし、作品自体が発する力は、それらを補って余りあるほど強かった。欠点と見えるところが、いつのまにか鑑賞者とのコミュニケーションの端緒になっているようなところもあった。枠に収まりきれずにあふれ出てくる作家の想いはアートの魅力の一つである。沖の作品からは、従来のアートの枠組みを超えようというエネルギーや、アウトサイダーアートに近い執着ともいえるほどの情熱があふれていた。
今後は、今回のように一つ一つの作品に個別のストーリーを与えるのではなく、全体として一つの大きなストーリーになるような展示構成をしていくと、より伝えたいテーマが伝わりやすくなるだろう。今回の展示に課題が多かったことは事実だが、大きな熱量と、今後、新しいアートを更新していく可能性の高さから、沖を今年のshiseido art egg賞に選出した。
In the Walls 菅亮平展
2017年7月28日(金)~8月20日(日)
美術館やギャラリーに特有の「ホワイトキューブ」と呼ばれる空間がある。装飾のない白い壁、隠された人工光源、均質な床などを特徴とする、この「ホワイトキューブ」をモチーフに制作を行う菅は、大展示室では虚構の展示空間が際限なく連続していく映像を壁面全体に投影した。小展示室では、実在する美術館などの写真をもとに制作した、何も展示されていない架空の「ホワイトキューブ」の室内写真を展示した。
思考の枠組みが明確で、かつ、自身の思考を外側から見ることができる批評性ももち合わせている、アートシーンの中枢に位置づけられる展示である。伝えたい内容を伝えるために何が必要であるかが徹底して考えられており、鑑賞者は作家の思考を追っていける気持ちよさも感じることができる。「ホワイトキューブ」に残された壁の痕跡の美しさを引き出したのも、よい仕事である。大小2つの展示空間の使い方もうまく、緻密に構成された、完成度が非常に高い展示であった。
一方で、映像につけられたアンダンテ(歩く速さ)の足音など、やや過剰と見えるところもあり、この点については、もう少し表現に余白をもたせ、見る人に自由に鑑賞する余地を残してよいのではないかという意見が出された。緻密な構成は高く評価できる一方で、どこかに多少の開放性をもたせてもよかったかもしれない。
今回の作品は非常に突き詰められており、今後このシリーズを同じ方向で展開させていくのか、ここから別の方向を探っていくのか、という分岐点にあるように感じられた。その先を模索し、突破できたときには、非常に新しい表現が生まれてくる可能性が大きい。今後の展開が期待される作家である。
審査員
岩渕 貞哉(『美術手帖』編集長)
1975年横浜市生まれ。1999年慶応義塾大学経済学部卒業。2002年美術出版社『美術手帖』編集部に入社後、2007年に同誌副編集長、2008年より編集長。美術出版社執行役員。2017年、ウェブ版『美術手帖』、展覧会情報サイト『ART NAVI EX』をオープン。トークイベントの出演や公募展の審査員など、幅広い場面で現代のアートシーンに関わる。
宮永 愛子(美術家)
1974年京都市生まれ。2008年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。日用品をナフタリンでかたどったオブジェや、塩を使ったインスタレーションなど気配の痕跡を用いて時を視覚化する作品で注目を集める。主な受賞に2009年第3回shiseido art egg賞、2013年「日産アートアワード」初代グランプリなど。主な展覧会に「宮永愛子:なかそら―空中空―」国立国際美術館(大阪、2012年)など。
中村 竜治(建築家)
1972年長野県生まれ。東京藝術大学大学院修了。青木淳建築計画事務所勤務後、2004年に中村竜治建築設計事務所を設立。住宅、店舗にとどまらず展覧会会場の展示デザインやインスタレーションまで幅広く手がける。これまでの主な受賞に2006年グッドデザイン賞、同年JCDデザインアワード大賞がある。2010年「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」(東京国立近代美術館)に出展。2016年「BEAUTY CROSSING GINZA ~銀座+ラ・モード+資生堂~」(資生堂ギャラリー)では展示デザイナーとして参加。
これまでのshiseido art egg賞の結果は下記よりご覧ください。